いきのこり ぼくら
「私、ぴえた(仮名)ちゃんが書く文、好き」
先日、家に招いた友人に文を書くことについて褒められた。単純な私は、さっそく調子に乗ってまた実りのない記事を書こうとしている。青葉市子を聴きながら書いていこう。今回は青葉市子の曲をシャッフル再生し、一番最初に流れ始めた曲からタイトルを拝借している。
青葉市子は冒頭の言葉を言った友人に勧められたアーティストである。
至極どうでもいいかもしれないが、記事を書きながら夕飯も食していることも報告しておこう。一昨日ご飯を2合炊き、半合ほどを即席ワンタンに投入し、その余りがそういえば保温もせずに炊飯器に放置されていたことを急に思い出した。少し危険な香りもしたが、最近は涼しかったのでたぶんイケるだろうと果敢に挑戦している。丼ぶり一杯分、少し多い気がしたが、冷凍ご飯用のタッパーが流しに放置されており、洗う労力と1合ちょっとを食べる労力を秤にかけ、後者をとり今に至る。
おかずは、ない。即席みそ汁の味噌をごはんの真ん中にさながら生卵のように落とし、かやくとともに顆粒だしをまき散らし、上からお湯をかけた。自己流猫まんまである。結構、イケる。
ちょっとだけ、私に対する見えない評価というものが下がったように思うのは気のせいだろうか?
夏休みである。夏休みに突入してから正確にどれぐらい経ったのかなんて知らない。iphoneに入れたスケジュールアプリ、Lifebearによるとまあだいたい3週間くらい経ったらしい。ぬるっと夏休みに入り、ぼんやりと日々を過ごしていたのであまり実感がわかない。何をしていたら実感がわくのかなんておそらく一生わからないだろうが。
夏休みである。3週間何をしていたのだろう。
写真を見返してみると、金髪を黒髪に戻したり、美術サークルの合宿に行ったり、机をゆがめたり、帰省したり、絵を描いたり、タッパーを溶かしたり、バイトに行ったり、バイトを辞めたり、ヘアアイロンを壊したりしていたらしい。ものを壊しすぎている。そろそろデストロイヤーの異名がつくかもしれない。
ぼんやり過ごしている割には、こうして羅列してみると結構いろんなことをしているもんだ。
写真と言えば、私は写真を撮ることが結構好きである。高校時代は写真部に所属していた。写真好きと言ってもほぼにわかだ。カメラ会社はNikonとCanonとOLYMPUS以外知らないし、持っているレンズは55mm-200mmの望遠レンズしかない。以前は広角レンズも持っていたが、父が落として歪めて以来そのままだ。
今、私が3年間使っていたNikonのD3300は母親に成田空港で買ってもらったBUILTのお弁当バッグの中で眠り、ニトリで買った本棚の片隅に無造作に置かれている。
前々回の帰省の際に、下げ渡された実家のお古のレンジと共にキャリーバッグで持って帰ってきた記憶がある。望遠レンズしかないのが、使い勝手が悪く、結局iPhoneばかりで写真を撮っているようだ。
なんとなくカメラを出してみた。
レンズの蓋を外す。人差し指でつまみをスライドさせて電源をONに。右の人差し指はシャッターボタンに、それ以外の指と手のひらでカメラを握る。左手はレンズに添えて、倍率が変更できるように。脇は締めて、ファインダーを覗く。
コンセントを差してすらいないテレビの真っ黒な画面に映るカメラを構えた自分がぼんやり見えた。
シャッターボタンを半押しする。シャッターを切る。
切れなかった。
!メモリーカード未挿入
画面にそんな文字が躍っている。カメラの中にメモリーカードが入っておらず、保存先がないのでシャッターが切れなかったようだ。一昔前のカメラは本体にも数枚記録できたように思うが、D3300さんはそうはいかないらしい。
こっちに来てからメモリーカードを買った覚えはないので、たぶんこの家にメモリーカードはないだろう。
現状ただの黒い置物以上のはたらきができないカメラをまたお弁当バッグに戻した。
夕飯を食べ終え、口寂しいので友人が家に来た時に一緒に食べて余ったセブンプレミアムの柿ピーの小分けの袋の封を切る。
久しぶりに一眼レフを持ったら、高校時代の思い出もよみがえってきた。全国探せば掃いて捨てるほどいる平凡な女子高校生であった。私は。弁論大会で優勝したこともないし、IHに出場したこともない。絵でも写真でも賞はもらったことはなかったし、長期間海外留学に行ったこともない。
そんな極めて普通だった高校時代で、思い出もありきたりなものかもしれないが、その思い出は私にとっては大切なものだ。いつか書こう。いつか。覚えているかは自信がない。いつかやろうを実行できた経験はあまりない。
今日は11時に横浜駅で約束をしている。そろそろ寝ようか。
実は新しいことをこの夏、秋から始めようと思っている。今書くのは気恥ずかしいのでいつかまた書こう。
”いつか”とか”らしい”とかばっかだな、おまえ。