私立暇人大学.ac

暇な私立文系大学生のブログ。

徒然なるままに

 

あと3時間で秋学期最初の試験が始まる。論述も考えてなんとなく暗記して、単語もなんとなく一周した。8時に登校して1時間また向き合おうと思っている。ちょっと暇になったので徒然なるままに書く。

 

一晩中、昼間は猛威を振るう眠気はやってこなかった。Twitterで現実逃避をわめき散らしながら、4時ごろに一通り終わったので仮眠をとろうとしたが眠れなかった。

 

現実世界で嫌なことがあると、SNSに現実逃避してしまう、私の悪い癖。

 

上京してから相棒は見なくなった。科捜研の女も、恋愛ドラマも、朝ドラも。両親ともに好きだったから、テレビはいつもついていてスマホを弄りながらなんとなく見ていた。テレビを見ることよりもスマホをいじる方が好きだからそもそもテレビをつけること自体が稀になった。

生活に雑音が欲しいとき、ちょっと寂しくなったとき、友達が遊びにきたとき。そういうときにしかテレビをつけなくなった。

 

年末年始に帰省したとき、ずっと四六時中、朝から晩まで、食事中もテレビがついていて、帰ってきたんだなあとしみじみと思った。久しぶりに相棒を見たし、下町ロケットも見た。

 

人と関わるってこういうことなのかなとちょっとおセンチに考える。別に好きじゃないものでも自然と接する機会が増える。

 

小さい頃、パソコンに出会う前、テレビっ子だった。ヘキサゴンを見て、はねるのトびらを見て、世界まる見えを見た。金曜日はドラえもんを見て、クレヨンしんちゃんを見た。日曜日はニチアサを一通り見て、ポケモンを見て、笑点を見て、ちびまる子ちゃんを見て、サザエさんを見た。

 

自分も世間も変わるもんだ。私はテレビを見たくなったし、島田紳助は芸能界を引退するし、好きだった番組は終わっていくし。笑っていいとも!エンタの神様も終わった。

(最近、テレビ業界は緩やかに衰退して、世間の興味はインターネットに移行していることを実感した。)

 

 

実は、私は父親とテレビを見ることがこの世でかなりの上位に入るくらい嫌いだ。ザッピングしまくるし(見ててちょっと興味持ち始めた所で変えまくる)、見てるのに急に番組表を表示して見出すし、二画面にして片方でダビング作業を始める。いや、本当にムカつく。実際に私の父とテレビを見てもらえればどれほど煩わしいかわかると思う。

本人には私がどう思っているか言ったことはない。

 

 

年末年始を終えて都会に戻ってきたとき、夜だった。キャリーバッグを転がしながら空を見上げたら、星なんか全然見えなくて、ゆっくり動く飛行機の光だけ見えた。

 

長野阿智村に星を見に行った時、夜空を見上げてこんなにたくさんの星は見たことないと思った。

地元に帰って夜空を見上げた時、阿智村には劣るけど捨てたもんじゃないぜと思った。

 

飛行機の光を見てちょっとホームシックになった。

 

 

シックな気持ちに耽ったところで筆(?)を置こう。

あと2時間だ。3限提出の課題は諦めた。心理学の単位を落としたところで未来の私がちょっと苦しむだけで死にはしない。

 

でも今日試験の美術の単位を落としたらちょっと凹むなあ。

 

 

 

 

 

読み返したら本当に徒然なるままに纏まらない思考が垂れ流されていた。ウケる。ちょっとふわふわしすぎてるけど、まあ私は誰に何を言われようともこんなやつなのだ。

実家から荷物が届いた

昨日のバイト帰りにイルミネーションを見かけて冬を感じたのでブログの存在を思い出した。月1更新を目指していたが3か月坊主だった。これからはもうちょっと頑張ろう。

いやでもやっぱり頑張るもんじゃないな、これ。

 

久しぶりに米を炊飯器で炊く。炊きあがるまでの55分間で2か月ぶりにブログを更新しようと思う。今回は写真付きでなんだかブログっぽい仕上がり。

 

昨日実家から荷物が届いたので開封式をした。

まず今回のメインである米。

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(背景汚くてめっちゃトリミングした)

実家に父親の実家(私の祖父母)から送られてきたものである。毎年実家に届くが、私の祖父母は農家でもなんでもないのでどういう理由で届くのかいまいち謎だなあと思う。よくごみ袋にされるビニール袋にごそっと5キロちょっとぐらい入れられて段ボールに入っていたので銘柄も謎。でも銘柄を気にして今まで米を食べてきたことはなかったし(今食べてる米の銘柄も不明)、バカ舌なので味の違いもわからない(実家で炊飯器を新しくしたとき米の食べ比べセットがついてきて、毎日違う銘柄米を食べたが全く違いがわからなかった)し多分そんなに気にすることでもない。

 

パスタ。

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(トリミングし忘れて大変汚いIHが写っているがこれは私のせいではなく入居当時からこんなもんなので許してほしい)

パスタ、一人分茹でるのって難しいよね。以前私にパスタを作る!と言って某氏が作った残りの大量のパスタを消費していたが、毎回1.5人前か2人前くらいできる。でも量るのはめんどくさいなあと感じるので今後もきっと多めに茹で上がる。

 

コーンポタージュとパスタソース。

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(見栄えを気にして布巾を敷きだしたがどうだろう?)

とても助かる。写真左のガーリックトマトはめっちゃうまくて同シリーズのバジルはめっちゃまずいらしい。大変酷評していたので逆に少し気になる。

 

ごはんのお供たち。

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どうせおかずなんて作らないんだろ、という母親の意図が透けて見える。そんなことはないし、ちゃんとおかずも作っている、と反論したいところではあるがここ数か月、私のIHは稼働していない。

 

歯ブラシセット。

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どうせ4月から新調していないんだろ、という母親の意図が透けて見える。しかし残念ながら歯ブラシについては自信をもって反論できる。この前行った抽選会のアルバイトで、外れ商品が歯ブラシだったのでバイト後に余りの歯ブラシを一本もらって新調した。

 

あとお菓子も入っていたが段ボール開封直後に開けて食べてしまったので写真はない。プチとアルフォートだった。荷物が届く前にアルバイトで13時間労働をしており、疲れた私はマクドナルドで三角チョコパイ黒と、ローソンでポテトチップスしあわせバタ~を購入していた。帰宅して、不在BOXから荷物を取り出し、開封してお菓子が入っているのを見たとき、親のやさしさを感じるとともに買ってきたお菓子たち、無駄やんという謎の虚脱感に襲われた。でも全部食べた。おいしかった。おいしいものは脂肪と糖でできている。全くそのとおりなのだ。

 

 

米がまだ炊き上がらないので、もう11月も中旬ではあるが少し怖い話をしようと思う。

よし、米も届いたし久しぶりに何か作るぞと思い、昨日の私は冷蔵庫を開けた。賞味期限が9月の開封済み牛乳(怖くてまだ中を見ていない。どう処理したらいいのだろう)、卵1つ、調味料、バイトで貰った大量の栄養ドリンク剤、バイトで貰った柑橘、ちょっと余ったホットケーキミックス、麦茶。到底何か作ることはできなさそうなラインナップが並ぶ中、私は1つのタッパーを見つけてしまう。

(これ……いつ作ったかも覚えてないごま油キャベツのタッパー……)

半透明なタッパーから覗くキャベツの葉っぱと黒い“ナニカ”。よく見る勇気もなく私は冷蔵庫を閉じた。冷蔵庫の扉に「キャベツ ヤバイ 捨てろ」のいつかの過去の私がつけた付箋。過去の私のアドバイスはその後の現在寄りの過去の私には届いていなかったようだ。

 

燃やすゴミの日は火曜日だぞ、私。

 

 

 

米が炊き上がった。今日はレトルトカレーで食す。

いきのこり ぼくら

「私、ぴえた(仮名)ちゃんが書く文、好き」

 

 先日、家に招いた友人に文を書くことについて褒められた。単純な私は、さっそく調子に乗ってまた実りのない記事を書こうとしている。青葉市子を聴きながら書いていこう。今回は青葉市子の曲をシャッフル再生し、一番最初に流れ始めた曲からタイトルを拝借している。

 青葉市子は冒頭の言葉を言った友人に勧められたアーティストである。

 

 至極どうでもいいかもしれないが、記事を書きながら夕飯も食していることも報告しておこう。一昨日ご飯を2合炊き、半合ほどを即席ワンタンに投入し、その余りがそういえば保温もせずに炊飯器に放置されていたことを急に思い出した。少し危険な香りもしたが、最近は涼しかったのでたぶんイケるだろうと果敢に挑戦している。丼ぶり一杯分、少し多い気がしたが、冷凍ご飯用のタッパーが流しに放置されており、洗う労力と1合ちょっとを食べる労力を秤にかけ、後者をとり今に至る。

 おかずは、ない。即席みそ汁の味噌をごはんの真ん中にさながら生卵のように落とし、かやくとともに顆粒だしをまき散らし、上からお湯をかけた。自己流猫まんまである。結構、イケる。

 

 ちょっとだけ、私に対する見えない評価というものが下がったように思うのは気のせいだろうか?

 

 夏休みである。夏休みに突入してから正確にどれぐらい経ったのかなんて知らない。iphoneに入れたスケジュールアプリ、Lifebearによるとまあだいたい3週間くらい経ったらしい。ぬるっと夏休みに入り、ぼんやりと日々を過ごしていたのであまり実感がわかない。何をしていたら実感がわくのかなんておそらく一生わからないだろうが。

 

 夏休みである。3週間何をしていたのだろう。

 

 写真を見返してみると、金髪を黒髪に戻したり、美術サークルの合宿に行ったり、机をゆがめたり、帰省したり、絵を描いたり、タッパーを溶かしたり、バイトに行ったり、バイトを辞めたり、ヘアアイロンを壊したりしていたらしい。ものを壊しすぎている。そろそろデストロイヤーの異名がつくかもしれない。

 ぼんやり過ごしている割には、こうして羅列してみると結構いろんなことをしているもんだ。

 

 写真と言えば、私は写真を撮ることが結構好きである。高校時代は写真部に所属していた。写真好きと言ってもほぼにわかだ。カメラ会社はNikonCanonOLYMPUS以外知らないし、持っているレンズは55mm-200mmの望遠レンズしかない。以前は広角レンズも持っていたが、父が落として歪めて以来そのままだ。

 今、私が3年間使っていたNikonのD3300は母親に成田空港で買ってもらったBUILTのお弁当バッグの中で眠り、ニトリで買った本棚の片隅に無造作に置かれている。

 前々回の帰省の際に、下げ渡された実家のお古のレンジと共にキャリーバッグで持って帰ってきた記憶がある。望遠レンズしかないのが、使い勝手が悪く、結局iPhoneばかりで写真を撮っているようだ。

 

 なんとなくカメラを出してみた。

 レンズの蓋を外す。人差し指でつまみをスライドさせて電源をONに。右の人差し指はシャッターボタンに、それ以外の指と手のひらでカメラを握る。左手はレンズに添えて、倍率が変更できるように。脇は締めて、ファインダーを覗く。

 コンセントを差してすらいないテレビの真っ黒な画面に映るカメラを構えた自分がぼんやり見えた。

 シャッターボタンを半押しする。シャッターを切る。

 

 切れなかった。

 

メモリーカード未挿入

 

 画面にそんな文字が躍っている。カメラの中にメモリーカードが入っておらず、保存先がないのでシャッターが切れなかったようだ。一昔前のカメラは本体にも数枚記録できたように思うが、D3300さんはそうはいかないらしい。

 こっちに来てからメモリーカードを買った覚えはないので、たぶんこの家にメモリーカードはないだろう。

 

 現状ただの黒い置物以上のはたらきができないカメラをまたお弁当バッグに戻した。

 

 夕飯を食べ終え、口寂しいので友人が家に来た時に一緒に食べて余ったセブンプレミアムの柿ピーの小分けの袋の封を切る。

 

 久しぶりに一眼レフを持ったら、高校時代の思い出もよみがえってきた。全国探せば掃いて捨てるほどいる平凡な女子高校生であった。私は。弁論大会で優勝したこともないし、IHに出場したこともない。絵でも写真でも賞はもらったことはなかったし、長期間海外留学に行ったこともない。

 そんな極めて普通だった高校時代で、思い出もありきたりなものかもしれないが、その思い出は私にとっては大切なものだ。いつか書こう。いつか。覚えているかは自信がない。いつかやろうを実行できた経験はあまりない。

 

 今日は11時に横浜駅で約束をしている。そろそろ寝ようか。

 

 実は新しいことをこの夏、秋から始めようと思っている。今書くのは気恥ずかしいのでいつかまた書こう。

 

 

 

 

 ”いつか”とか”らしい”とかばっかだな、おまえ。

 

 

ない。

 心臓が次第に嫌な感じに脈打ち、手先が冷えて震えてくる。机の上のプリントを持ち上げ漁り、クローゼットにつるしていたワンピースや一回一回洗うのはもったいなくてまだ洗っていなかった履いてた記憶のあるズボンのポケットを探り、背負っていた記憶があるリュックの内ポケットを見る。あと数分で出なければ4限に間に合わない。やばい。

 

 私は焦っていた。

 

 時は平成最後の夏。全国的な猛暑の中、どこかの県では39度を越えただとか、誰と誰が入籍しただとかがLINEニュースで流れていた。アブラゼミやミンミンゼミが6年の地中生活を終え、地上で子孫を残そうとやかましく鳴いている。

 夏休みを数週間後に控えた大学生を待ち受けていたのは悲喜こもごもの期末テストであった。

 どこの大学でもそうなのかはわからないが、私の大学ではこの期末テストで本人確認のために学生証が要求される。学生証がなければ試験が受けられないのだ。ちなみにこの学生証、図書館に入る際にも必要になる。

 お察しの通り私が家を出る予定の時刻を押して探していたのはこの学生証であった。そして、この日、5限には授業内テストが予定されていた。

 授業内テストでも学生証は必要なのだろうか? わからないが明日も試験が控えている中、図書館に入れないのもまずい。先週、西洋美術史の本を返すために図書館に入る際に提示してからそれをどうしたのだろう。人間の記憶というものは全くあてにならないものである。

 

 結局、学生証は家で見つからず、とりあえず学生証が見つからない旨をTwitterに呟きながら私は家を出て大学に向かう各駅停車に乗った。

 

 ところで、テストを控えたほかの学生諸君は準備は順調だろうか? 私は順調ではないので、テストを控えた午前5時にこのブログを数か月ぶりに書いて現実逃避にいそしんでいる。iPhone8に純正イヤホンをつなぎ、tabiと名付けたプレイリストを再生し、小沢健二の『ぼくらが旅に出る理由』だとか、くるりの『ハイウェイ』だとか、奥田民生の『さすらい』だとかを聞いたりしながら旅に出たような心持ちでパソコンに向かっている。

 

 やらなければいけないことがあるのは自他ともにわかっているし、明らかすぎるのだが、どうしてもこのパソコンの脇に置いたプリントに立ち迎えない。全く興味のない分野というわけではないし、むしろ履修している講義の中では3本の指に入るほど好きな講義であるはずなのに。

 

 私という人間は魂の底から怠惰な存在なのだなと、今までの人生を振り返りながら考える。小学生の頃から夏休みの宿題は夏休み中に終わった覚えなどないし、試験も毎度直前に焦ってやっていた。やっていただけましかもしれない。今の私は明確に退化している。受験勉強でさえも胸に手を当てて本当に努力したといえるのか考えてみろと言われてしまえば、たぶん努力したと言ったら嘘になる。

 

 この怠惰な性格が嫌になるときがよくある。起きたら午後の2時だったとか、1限の必修に寝坊して出られなかったのでその後の講義を全部切って家でネットサーフィンをして何の生産性もなく一日を過ごしたとか、そんな時だ。

 

 iPhoneの充電が切れ、音が途切れたことで小鳥が鳴いていることに気づいた。外が明るい。あと4時間で試験が始まる。こんなふわふわとした主題も芯もないブログを気分で書いている場合ではない

 

 なんだか学生証が見つからなかったときのような焦りがよみがえってきた気がする。気が、する。

 

 

 そういえば学生証はとりあえずパソコンとファイル、スケジュール帳、筆箱を突っ込んで持ってきた猫柄の布のバッグの内ポケットで見つけた。各駅停車から急行に乗り換えた後のことであった。

 

 人生そんなもんである。たぶんこれからもずっと。

横浜帰り

 最近高校の同期が次々とブログを開設しだした。私は一種の4月病なのかもしれないと密かに思っているが、日記やその時の自分が感じたことを書き残しておくことは案外大切なことなのかもしれない。私も意識の高い学生らしく自身の意見を述べていくべきなのではないかと思い、この度ブログを開設した。

 

というのは勿論嘘だ。

 

 小学生から中学生に至る間、私はブログを書いていた。自身の日記、私自身が書いたイラストなどが主な内容であった。ブログを経由して得た友人たちの間でバトン(ブログ内で指定された人が決まった内容の質問等に答えて、また次の人を指名する)を回していたことを良く覚えている。

 

 同期たちがブログを開設していくのを眺めていた私はこのことを思い出していた。そういえばすっかり記憶の彼方であるがあのブログはどうなったのだろうと思い、久々にアメーバブログにログインした。消去も退会もされず、最終更新日から4年と数か月経た私のブログ。そこに残っていたのは私の黒歴史の山であった。

 

 お世辞にも上手だとは言えないが、誰かが褒めてくれるのを待っているかのような自信ありげなイラスト、心の底から誰の得にもならないような私の小さな日常(テストが終わっただとか、雨で滑って転んだだとか)、ネットの海にどっぷり浸かったような口調、無駄なハイテンション、挟まれる自慢と自虐。挙げ連ねればきりがないが総じて言えるのは痛々しさ。

 

 のたうちまわりたくなる。一生誰にも見せたくない。これを誰かに読まれたらと思うと日の下を歩けなくなるという感情が溢れかえる。消えない傷が私の心に残った。

 

 と同時にどことなくノスタルジーも感じた。もう戻らないあの時の無邪気さ。私の進む道は光で満ちていると疑わない自信。今の私にはもうない。

 

 強烈な感情体験だった。

 

 今の私にはあって、未来の私にはないものもあるのかもしれない。何か残さなきゃいけないような気がする。

 

 そんな気持ちで今回誰の毒にも薬にもならなそうなブログを開設した。

 

 数年後、このブログを見て、いい感じに恥ずかしくなりたいものである。