私立暇人大学.ac

暇な私立文系大学生のブログ。

迷子になった話

学校がないというのは実に暇である。世間の多くの大学がそうであるように、私の大学も試験期間に突入した。私にとって重要な試験は語学だけで、あとの単位を落とそうが後の私が苦しむだけで大した問題ではない(ある程度単位をとらなければ進級が怪しくなるがたぶん大丈夫だろう)。語学は試験期間前に試験が終わるので、消化試合(一般教養科目)についても試験がある科目が多くないので、私の試験期間というのはたいそう暇である。

スマホをいじり続けるのも限界がきている。積んでいる本をちょっと読んだが1時間半ほどで飽きてしまった。春休みも多分こんな調子で過ごすのだろうが、暇で死ぬんじゃないだろうか?

 

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閑話休題

 

私には8つ年上の兄と4つ年上の兄がいるが、小さいころ4つ年上の兄にとても懐いていた。一緒にお風呂に入りたがったし、一緒に寝たがったし、学校から帰ってきた兄が遊びに行くのにいつも付いて行こうともしていて、よく邪険にされていた。(こうして思い返すとなかなかうざったい妹だ。)

邪険にされていたと言っても、よく一緒に遊んでくれたし、学区外にも連れて行ってくれたし(子供だけで学区外に行ってはいけないと言われていた優等生な私にとって学区外に行くということはちょっとした冒険だった)、漫画も読ませてくれたし、ゲームもおさがりでもらっていた。小さい頃の私にとって、4つ上の兄は知らない世界を教えてくれる一番身近なちょっと大人な存在だった。小さいころ一番影響を受けた存在は間違いなくこの兄だろう。

 

ある日、この兄と自転車に乗って学区外へ出かけた。何があってそうなったかは覚えていないのだが、途中で私だけで家に帰ることになった。別れた場所は兄が通う中学校周辺で、自宅から自転車で10分もしない場所。兄は今来た道を戻れば帰れるはずだし大丈夫だろうと思っていたのだろうし、当の私も思っていた。

この論調でもう察しはつくだろうが、ものの見事に私は迷子になった。どこでどう間違えてそうなったのか、どこからどう見ても迷子だった。

周りは知らない住宅街、私に脳裏に浮かぶことはただ一つ。

(一生家に帰れなくて、家族にも会えないんだ……)

子供の思考というのは単純である。

自転車をこぎながら半泣きの私に、救世主が現れたのはその時である。わき道を知らないおばちゃんを歩いていた。当時から猛烈なコミュ障を患っていた私には知らない人に声をかけるというのは果てしない勇気が要ることであったが背に腹は代えられない。

私は来た道も戻れないポンコツではあったが、賢い子供ではあったので「私の家はどこですか?」と尋ねても「は?」と言われるのは簡単に想像がついた。「すみません、〇〇小学校はどこですか?」と藁にも縋る思いで尋ねた。

「知らんねえ……」帰ってきたのは無情な響きだった。自分の通う小学校も知られていないほど遠い土地へ来てしまったのかと絶望した。

しかし、ここで諦めたら一生家に帰れない。まさに背水の陣だった私は「××中学校はどこですか?」と兄の通う中学校の場所を聞いた。少しでも見知った場所に出たかった。救世主おばちゃんは「ここをまっすぐ行って左だよ」の一言。なんと私が未知の遠い地だと思っていた場所は兄の中学校の目と鼻の先だった。

救世主にお礼と別れを告げ、私は帰路へと付いた。

見知った道に出て、家が見えてきて、無事に家につくと今度は本当に泣いた。当時からプライドの高い子供だったので、迷子になって泣いた姿を見られたくなかった。自分の部屋でこっそり涙をぬぐい、ちょっと寝た。

兄も母も、誰も知らない私の小さな冒険はこれで終わりである。

 

今も、たまに気ままに歩いて自分がどこにいるのかわからなくなる時がある。そんな時はポケットから颯爽とスマホを取り出し、

「Hey,Siri、私の自宅まで」

今の私の救世主はスマホだ。便利な世の中である。